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宮崎地方裁判所都城支部 昭和31年(わ)97号 判決 1958年5月30日

被告人 光田仁聖こと鄭仁聖

主文

被告人を懲役五月に処する。

未決勾留日数中百日を右本刑に算入する。

押収に係る焼ちゆう一斗、四斗桶一個、壺の破片六個(昭和三十年十一月二十二日附都城税務署長作成差押物件保管証記載)はこれを没収する。

訴訟費用中証人外山一弘、児玉公文、李春子、吉岩留太郎、福永春夫、下村八二、吉川勇、内村利美、西田親義、川上信雄、光田順子、吉川義夫、小波津シゲ子、張本台石、湯地澄、猪目利男に支給した分は全部被告人の負担とする。

被告人が昭和二十九年一月十二日頃税務署長の免許を受けないで自宅庭先にドラム罐一個を埋没してこれに生甘藷麹水を原料として仕込み醗酵させて同月二十二日アルコール分八度の焼ちゆう原料醪一石を製造したとの点は無罪。

理由

(罪となる事実)

被告人は法定の除外事由がないのに昭和三十年十月二十五日肩書住居において税務署長の免許を受けないものが製造した酒精分一度以上の焼酎八斗八升位を所持していたものである。

(証拠)

凡そ税務署長の免許を受けない者の製造した酒類(以下単に密造焼酎と略称)の所持罪が成立するためには、被告人において密造焼酎であることの認識を有し、それを自己の実力支配下におくことが必要であることは多く謂う迄もない。ところで、昭和三十年十月二十五日都城税務署係員を中心とし郡元町一帯に亘つてなされた密造焼酎の一斎取締に際し、同日午前七時頃八斗八升に及ぶ大量の密造焼酎が被告人居宅炊事場、便所等に格納隠匿されていたことは後記の各証拠によりこれを認むに十分である。

然るに被告人は「当日私は朝五時半に起きて子供と共に三股町の澱粉工場に豚の飼料を買いに行つて不在であり、その焼酎は見たこともない」と弁解し(当審第一回公判調書)被告人の妻光田順子は「その前の晩私は次女が入院している藤元病院に行つて泊つて帰つたので内から密造焼酎が出たことは全然知らない、長女の愛子は市内千町の松石サイダー店に住込みで働いていたので、そのとき家に居たものは長男実十四才、次男信幸十一才の二人であつた」旨供述している。(当審での光田順子に対する証人尋問調書)許りでなく、被告人方の裏長屋に居住している李春子はこれに照応するように「右隠匿したのは私一人で、その日私は税務署が来たというので、あわてて自宅で密造していた焼酎三斗五升を無断被告人方に運んで便所などに隠した、その際被告人方には子供二人がいた被告人は本件に全く無関係である」旨供述(当裁判所の証人李春子に対する尋問調書)しているので仔細に検討するに、

一、被告人方並近傍の状況について

当裁判所の検証の結果(昭和三十一年五月十二日付同年六月十六日付検証調書)によれば都城市郡元町四丁目三千番地被告人居宅は戦時中川崎航空機械株式会社が従業員の社宅として建設したもので、一帯に四戸建長屋が多数併立して居る、その長屋中の一戸瓦葺平家建、居室は四畳半と三畳の二間だけ、それに入口より裏口に通ずる土間及び便所からなり、建坪凡そ八坪、表出入口は稍南向き土地は右居室の東側及び北側炊事場附近で表入口から幅約一間奥行四間位で裏口に通じその附近が炊事場、表入口から裏口に通ずる土間の中程東側壁に則つて三段の棚が設けられ炊事道具が置いてある。裏口から北側の壁ぞいに木造の流しがあり、流しの南側突当りが便所で、流しと三畳及び便所との間附近土間が幾分広くなつて居り、流しの西側に薪炭類が置いてあり、三畳と便所は土壁で接し、三畳の間から板敷で便所に通ずるようになつている。便所内部は幅約三十糎、高さ五十九糎の板で二つに仕切られている。

李春子方は被告人方の裏長屋の一戸で被告人方西側隣家中村実方西北端南から巾四尺位の通路を通つて北に進んだ北側向の家、被告人方や右中村実方裏側は李春子等の長屋裏畑或は裏庭となつており、中村実の家と李春子の畑との間には高さ四尺位の板囲いがあり、この板囲いと中村実の家との間は三尺位、通行の余地はあるが、下水の水はけが悪い為、日頃の通路とはなつていない、被告人方裏口から李春子方裏口まで約四間、裏口から釜場迄約四間の土間となつている。

二、密造焼酎の隠匿場所とその発覚状況について

以上の事実と当審第三回公判調書中、証人高橋新一、戸高睦雄、中城英明の各供述記載並当審証人外山一弘、児玉公文、中村靖弘に対する各証人尋問調書中の記載を綜合すると、浜田明男班長外八名の捜索隊は当日(昭和三十年十月二十五日)午前七時十分頃被告人方に到着し大蔵事務官高橋新一が入口の所で二十才位の女に令状を示して捜索を開始したが当時四畳半の間には寝床が敷いてあつて子供二人が寝て居り外に四十才位の女もいた、最初に発見したのは前記土間の棚に在つた三升がめで、次いで流しの下に五升がめ一個がありいずれも密造焼酎が一杯はいつていた。便所の入口板戸に薪を立てかけてあつたのでそれを取り除いて便所の戸を開けてみると、直ぐ入口の所に一斗壺が二個、その奥に四斗桶一個、その上に板を渡して一斗びん二個を整然と格納してありいずれの容器にも酒精分二二度位の密造焼酎が殆んど一杯はいつていたことがそれぞれ認められ(酒精分は大蔵事務官作成の検定調書による)附近に焼酎のこぼれた形跡もなかつたようである。

三、被告人及び李春子等の供述の真実性について

(一)  被告人は

(1) 大蔵事務官に対し「私は二十五日朝五時頃から豚のエサを澱粉工場に運搬に行き、午前六時三十分頃家に帰り同時刻頃家を出て部落附近にいたが午前八時三十分頃から三股の護岸工事の日稼に行つた」旨の供述をなし(昭和三十年十一月五日附被告人に対する大蔵事務官作成の質問てん末書)

(2) 検察官副検事に対し「私は十月二十五日朝五時半に起きて澱粉粕を買いに三股のまやみ澱粉工場に行つて七時半頃家に帰つた、往復自転車で行つたが係がいなかつたので遅くなつた」と供述し(昭和三十一年三月三日付副検事に対する被告人の供述調書)

(3) 第一回公判廷において「その日私は午前五時三十分頃子供と共に豚の飼料をとりに行つて家に帰つた」と供述し(当審第一回公判調書)

(4) 第三回公判廷において「澱粉工場には一人で行つた、三股町の澱粉工場ですが何処の工場かは知らない、途中自転車がパンクしたので歩いて行つた」と供述している(当審第三回公判調書)

斯様に被告人の供述は、当時澱粉工場に行つて不在であつたと主張する基本線は動かないにしても、時には一人で行つたと云い或時は子供と一緒に行つたと云い、又時には往復とも自転車で行つたと云い乍ら、係がいない為遅くなつたと云い、他の場合は自転車がパンクしたので歩いて行つたから遅くなつたと供述を変更し、その供述は常に動揺している、もとよりその日護岸工事に行つた形跡はなく(当審での証人張台石に対する証人尋問調書)決定的重要なことは、豚の飼料を買いに行つたと主張し乍ら、問題の澱粉工場を指示出来ず結局この点について何等の証拠もないと云うことである。

(二)  次に李春子は

(1) 検察官に対し「当日午前六時頃起きて炊事をしていると郡元一丁目の方が騒しくなつて税務署員が来たというので大変だと思い三斗桶の焼酎を釜とバケツに移しかえ被告人方の裏口からはいり便所の中に三斗桶を置いてそれに移し、炊事場にも運んで一斗壺にも入れた、そのとき三斗桶に二斗五升位、一斗壺に六升位入れた蒸溜器一式も運んで便所の中に入れた、運んだ焼酎は三斗位、容器は三斗桶一個、一斗壺一個蒸溜器一式で、運び終つて二十分位して税務署員が来た」旨供述し(副検事に対する昭和三一年三月六日付供述調書)

(2) 当審での証人尋問に際し「私が被告人方に運んだのは焼酎三斗五升でこれを便所の中の四斗桶と一斗壺、及び流しの下の漬物がめ、土間の棚の三升入壺に分けて入れた、容器は四個であるが、自宅から持つて行つたのは四斗桶と一斗壺及びゴムホースで蒸溜器は持つて行かなかつた、運んだのは私一人で、税務署が来たと聞いて直ぐ運び始め終つて十分立たんうちに税務署員が来た」旨供述し(当裁判所の昭和三十一年五月十二日付証人尋問調書)

(3) 尚昭和三一年三月九日附検察事務官に対する李春子の供述調書によれば同人は「焼酎を被告人方に隠した後税務署員が来ていることを直感し恐ろしさの余り自宅に居て外に出て見なかつた」旨供述しているのに、当審第三回公判調書によれば同人は「私が焼酎を運び終ると直ぐ税務署員が来て家の中から運び出しているのを見て私は刑務所に行つても良いと思い五升と一斗壺二つを割つた」旨供述している。

右の様に李春子の供述も又、運んだと称する焼酎の数量並容器や製造用具の点に又は当時の行動についても動揺して一定せず、これを前記一、二に認定した諸事情と併せて考えるときは

(イ) 被告人方で発見された密造焼酎は凡そ八斗八升の大量であるのに被告人方の裏から李春子方に行く通路は下水の水吐けが悪く為に足場が悪く人の往来に適せず、斯様なところをバケツを下げて短時間に数回往来することは甚だ困難なことで通常考えられない、

(ロ) 李春子は、税務署員が一斉検挙の為郡元町の部落に来たことを聞いてあわてて運び始めたと述べているが、水枕に入れた僅少の焼酎であれば格別、斯様に大量のものをバケツで運ぶことは却つて発覚を容易ならしめるようなもので条理に合わぬ。真に検挙を免れる為であつたならばよろしく被告人の様に留守を装うべきで、このことが密造者の常套手段であることは当審第五回公判調書中証人山下畩吉の供述記載によつても十分窺える。

(ハ) 密造焼酎を隠匿した場所は前記の通り被告人方の便所、炊事場等であるが、空家とか物置であれば格別、無断で他人の留守宅に多量の違反物件を隠匿することは、全く無謀なことで不可解である。

(ニ) 李春子は、被告人方に運んだ焼酎は三斗とか三斗五升とか述べていながら、その容器としては、四斗桶一個、一斗壺外に漬物がめ、三升入壺の四個と云つており、仮りに三斗五升としても、容器としては四斗桶一個で十分であつて、税務署員が検索に来たと云う火急の場合に何を好んで余分の容器迄運んでこれに分散する必要があつたであろうか、

(ホ) 酒税法違反は常習性に富む犯罪で、被告人はこれの前科三犯を有するのに(前科調書による)李春子には前科がない(同人の検察官に対する供述調書による)従つて密造焼酎の一斉取締に当つては、李春子方よりも、むしろ被告人居宅の検索を受ける危険性がより大であつたと謂わねばならない、然るに検挙を免れるために態々危険な場所に物件を移すことはこれ又不合理極まる話で諒解に苦しむ。

以上に加えて、前顕証人山下畩吉に対する証人尋問調書の記載によつても明らかなように、此種事犯は通例集団地区で多くの者が互に協力して密造して居り、検挙を免れる為、転々と場所を換え、家を代つて住み、或は架空人の門札に変更し更には空家を利用する等色々偽装することの多い実状に照し当時豚の飼料を買いに行つて不在であつたと主張する被告人の弁解も、又被告人方には当時子供二人が居ただけで被告人等の留守中私が一人で運んだものであると云う李春子の供述も、共にその真実性を認むべき合理的な根拠がないので到底信用するに足りない。

四、而して人は夜間若しくは早朝に於ては、特別の事情がない限り自宅で起居することを通例とするものであるから、その不在証明のなされない本件に於ては、被告人は税務署員が到着する直前迄自宅に在つたものと推断する外はない(第三回公判調書中証人戸高睦雄の供述記載によれば、同証人は、当時被告人が自宅入口附近に居たらしいと述べて居る)。

尚被告人の妻や長女が外泊して不在だつたと云う点についてもこれを確認する資料はない。

ともあれ本件に於ては、被告人がその情を知りながら判示密造焼酎をその実力支配下においた点について直接の証拠を欠くけれ共、犯罪事実認定の資料となる証拠は、必ずしも直接証拠に限らず、間接的情況証拠を以て足ることは異論のないところで、(昭和二五年二月一四日放火事件につき最高裁小法廷判決昭和二九年一二月二二日酒税法違反事件につき広島高裁判決、窃盗罪につき昭和三一年四月九日東京高裁判決、昭和三二年五月一四日札幌高裁函館支部判決、酒税法違反につき昭和二七年四月二二日仙台高裁判決、その他多数)ことに、窃盗罪について盗蔵品を所持している者が、その所持するに至つた合理的根拠を証明し得ない限り、その所持することそれ自体によつて窃盗犯人と推認することは経験則に反しないという判旨に徴すれば、通例人の居住家屋内に存在する物件は特にそれが家人の目に触れにくい様な特別の事情がない限り、その家を管理する主体の意思に基いて存在するものと解するのが相当で、そうでないと主張するものは、その然らざる所以について、合理的根拠を証明する必要があるものと謂うべく、それが不可能であれば、その者の認識下に在るもの、即ちその情を知り乍ら自己の実力支配においているもの見られることは洵に已むを得ないことである。ところで被告人居宅に存在した凡そ八斗八升の密造焼酎について、それが家の管理主体である被告人の意思に基かないで存在したと主張する点については、既に説明した通り当裁判所の措信しない前示被告人の弁解と、これに照応する李春子の供述を除いては、その合理的根拠を証明する何ものも存しない。そうすると、前段認定の通り極めて手狭な被告人住家の構造と、多量の本件密造焼酎の隠匿情況とに鑑み、到底それが被告人不知の間に格納隠匿されていたものとは思料し難く、結局被告人はその認識の下に、これを支配していたものと解する外はない。従つて本件のような事情の下に於ては、密造焼酎が犯人と目される者の住家に存在したこと、それのみによつて所持犯を認定することは毫も不合理とは謂えないであろう。

よつて判示犯罪事実はその証明があつたものと謂わねばならない。

(法律の適用)(略)

(無罪の理由)(略)

よつて主文の通り判決した。

(裁判官 島信行)

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